三億円事件:府中刑務所裏の「完璧な演劇」と、昭和が遺した未解決の神話

「この車に、ダイナマイトが仕掛けられているという連絡がありました!」 1968年(昭和43年)12月10日。冷たい雨の降る午前9時20分過ぎ、東京都府中市の府中刑務所裏、学園通りとして知られる静かな路上で、日本の犯罪史に永遠に刻まれる「演劇」が幕を開けた。
白いカッパに身を包んだ白バイ隊員が、日本信託銀行国分寺支店の現金輸送車を制止する。そこから始まったわずか294秒間の出来事は、誰も傷つけることなく、当時の金額で約3億円(現在の貨幣価値で約20億〜30億円)という巨額の現金を強奪し、犯人が煙のように消え去るという、あまりにも鮮やかで、あまりにも「美しい」未解決事件となった。

権威を逆手に取った「心理的盲点」の攻略
この事件が「戦後最大のミステリー」と呼ばれる最大の理由は、犯人が一切の暴力を使わず、当時の社会における「絶対的な権威」である警察官の制服と、集団心理の隙を突いた点にある。
犯人は数日前から銀行に偽の脅迫状を送りつけ、職員たちの緊張感を極限まで高めていた。そこへ現れた「白バイ警官」。犯人は、輸送車の床下で発煙筒を焚き、「爆発するぞ、避難しろ!」と叫んだ。煙に巻かれた職員たちが車を離れた隙に、犯人は平然と運転席に乗り込み、車ごと立ち去ったのである。残されたのは、偽の白バイと、空の見張り台、そして職員たちの呆然とした表情だけだった。
この「誰も死なず、出し抜かれたのは権力(銀行と警察)」という構図が、皮肉にも当時の学生運動や社会不安の中にいた国民に、犯人に対する奇妙なシンパシーと「憎めない犯罪者」という偶像を作り上げてしまったのである。
モンタージュ写真がもたらした「二次的惨劇」
三億円事件を語る上で欠かせないのが、あの鋭い眼光を放つヘルメット姿の「モンタージュ写真」だ。しかし、この写真は捜査史上最大の失策の一つでもあった。
実はこの写真は、一人の目撃者の証言に基づいて描かれたものではなく、事件とは全く無関係な、当時すでに亡くなっていたある少年の顔写真をベースに、ヘルメットなどを合成して作られたものだったのである。この「似て非なる偶像」が全国に配布されたことで、捜査は迷走を極めた。
「あの写真に似ている」というだけで、11万人もの容疑者リストが作られ、何の罪もない多くの若者たちが執拗な取り調べを受け、人生を狂わされた。特に有力な容疑者と目された「少年S」は、アリバイがあったにも関わらず疑いの目を向けられ続け、事件の数日後に青酸カリを飲んで自ら命を絶っている。蒙を啓くはずの捜査が、さらなる闇を生んでしまったのだ。

昭和の神話:時効の壁の向こうへ
1975年(昭和50年)12月10日、捜査費用に9億円以上、延べ17万人もの捜査員を動員した国家のプライドをかけた追跡は、公訴時効という冷徹な壁に遮られ、幕を閉じた。
奪われた3億円の番号は控えられていたが、その後、一枚たりとも市場に現れることはなかった。「海外に逃亡して優雅に暮らしている」「警察内部の人間の犯行だった」「実は単独犯ではなく、巨大な組織が動いていた」。
真相が解き明かされないまま伝説化したこの事件は、数多くの小説や映画、ドラマの題材となり、現実の犯罪記録を超えた「昭和という時代のノスタルジー」に包まれている。府中刑務所の高い壁沿いに消えた、あの白いカッパの主は、今もどこかで世界のどこかで、私たちが抱き続ける幻想を冷ややかに眺めているのかもしれない。