アーカム (Arkham):ミスカトニックの叡知と、魔女伝説が息づく「狂気の古都」

クトゥルフ神話において、あるいはラヴクラフトが定義した「ラヴクラフト・カントリー」において、 アーカム(Arkham) はすべての狂気が集束し、放射される中心地である。
この街は単なる歴史ある古都ではない。それは、高度な学術的探究の場であると同時に、泥の底に沈んだ古い呪いが絶えず泡を吹いている、極めて不安定な「境界線」なのである。
1. 定義:ミスカトニック大学を擁する「知の聖域」
アーカムのアイデンティティを形成しているのは、間違いなく ミスカトニック大学(Miskatonic University) の存在である。
禁断の書架 :アイビー・リーグに比肩する名門校でありながら、この大学の真の価値は、付属図書館の「特別コレクション(閲覧禁止書架)」にある。そこには 『ネクロノミコン』 のラテン語訳をはじめとする、人類の正気を揺るがす魔導書が厳重に保管されている。
無謀な探査者たち :この大学の教授陣は、未知への好奇心に理性が追いついていないことが多く、南極(『狂気の山脈にて』)や西オーストラリアへの不吉な遠ぜんを繰り返しては、取り返しのつかない「真実」を持ち帰ってしまう。

2. 街並み:古き神々を呼び寄せる「歪んだ幾何学」
アーカムの街並みは、17世紀の魔女裁判から続く暗い歴史の地層の上に建っている。
不気味な建築 :ミスカトニック川の澱んだ流れに沿って、崩れかけのマンサード屋根や、中を窺い知れない小さな窓を持つ植民地時代の家々が密集している。それらは時に非ユークリッド的な角度で傾いており、まるで次元の隙間を隠しているかのようだ。
魔女の呪い :かつての魔女ケザイア・メイソンが異次元へ消えたとされる「魔女の家」など、この街の至る所には、時空間を歪めるスポットが点在している。
3. 精神:探索者たちの「終着駅」
アーカムはまた、真実を見てしまった者たちの最後の居場所でもある。
アーカム精神病院(Arkham Sanitarium) :クトゥルフ神話の探索者たちが、名状しがたき恐怖をその眼に焼き付けた後に辿り着く場所。ここは「治療」の場というよりは、もはや正常な社会へは戻れない者たちの「隔離」の場である。
※後にバットマンなどのポップカルチャーに登場する「アーカム・アサイラム」の直接のモデルとなった。
冷酷な無関心 :街の住民の多くは、この街に漂う邪悪な気配に気づかないふりをしているか、あるいは何世代にもわたる異形との混血によって、その異常に同化してしまっている。

4. 文化的影響:物語を生み出す「母体」
アーカムは、ラヴクラフトが自身の故郷であるプロビデンスや、マサチューセッツ州のセイラムをモデルに、それらを「恐怖」というフィルターで蒸留して作り上げた街だ。
この街の存在があるからこそ、読者は「我々の住む現実のはすぐ隣に、名状しがたきものが潜んでいる」という確信を得ることができる。アーカムとは、人間が理性を維持しようと足掻きながらも、巨大な宇宙の不条理の波に飲み込まれ続けている、 人類の精神的な最前線 なのである。
ネクロノミコン :ミスカトニック大学付属図書館に収蔵されている最重要の「毒物」。
インスマス (Innsmouth) :アーカムからそう遠くない、海に溶けかけた堕落の街。
ダンウィッチ (Dunwich) :ミスカトニック川の上流に位置する、土着の狂気が渦巻く村。
ミスカトニック大学 :神話に登場する多くの知識人が集い、また散っていった学問の府。